僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46 感想
はい、どうもみなさんこんにちは!
朱雀飛鳥です。
今回はですね、映画『僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46』を観てきたのでその感想を書いていきたいと思います。
ばっちりネタバレをするつもりなので、ツイートでは無く古のブログを引っ張り出したというわけです。
というわけで以下感想です。ネタバレ注意です!
映画として
映画そのものの感想としては最高だった。この一言。
まず構成がすごく良くて、冒頭の“全員”の名前と菅井の表情、こっからもうかなり引きつけられるものがあった。
そのあと本編が始まるんだけど、平手がステージから落ちて暗転からの若かりし彼女の声と笑顔、もうゾッとする。もうこの時点でこの物語に引き込まれてしまった。
全体を通して必ずしも一方向性に時間が進んでくんじゃなくて、ちょっとずつ行ったり戻ったりしながら現在の平手以外の主要メンバーと過去の平手や自分たちと会話して確認していくように少しずつ進んでいって、デビュー当時あんなに屈託ない笑顔を見せてた彼女たち(まあ主に平手)から徐々に笑顔が減っていって冒頭の落ちるシーンに繋がっていく。これは不安とか怖さを一気顕在化させる演出だった。
ライブ映像とMV撮影とそれらの練習の映像を行ったり来たりしながら進んでく演出もすごく良くて、そこに差し込まれる過去の平手の声、現在の平手以外のメンバーの声がその演出に意味を持たせてた。
あと笑顔は減ってくんだけど、2期生が入って少し笑顔が戻るんだよね、だけど2期生が入りましたエピソードがサラッとしか描かれないからなんだかなにも知らない人たちが入ってきて笑ってるように見えた。でもその一方で笑顔を取り戻させにきた救世主にも見えた。
現在の平手以外のメンバーインタビュー映像もすごく良くて、間とか角度とかにもいちいち気が使われてた。2期生(田村、松田)が途中からインタビューを受ける場面、彼女たちはちょっと引きの画でなんとなく欅坂46の世界観に落とし込まれてないような雰囲気で撮られてたんだけど、最後に追加で撮られたであろうオンラインライブ後のインタビューでは1期生も2期生も関係なく同じようにカメラに対して真っ直ぐこっちを向いてるんだよね、それまでずっと斜めとか引きだったし明らかに1期生と2期生では撮り方が違ったのに、最後には全員が真っ直ぐこちらを向いて“過去”じゃなくて“未来”を語っている。この演出は震えた。
あとインタビュー映像でいうと、タカヒロさんだけはインタビュアーも写ってるんだよね、しかも機材以外何もない無機質な部屋で、それも大人だけで、それで最後の質問が“大人の責任ってなんだと思いますか?”マジで鳥肌が立った。
卒業者たち(まあ主に長濱ねる)の扱いもすごく良くて、平手友梨奈程じゃないけど、少し遠くにいるような存在に描かれてて、海辺を走るねるの姿の差し込みがもう不安を煽るというか死んじゃったんじゃないかみたいな雰囲気さえもたらしてて、ああもうねるはいないんだな感が今更きて心折れそうになった。あまりに素敵な演出、これをエモいと言うのだろうか。
内容について
さて、内容についてなんだけども、まあ疑問が解消されないって意見があったけど、ドキュメンタリーとして事実はしっかり描かれてた感じはする(ここでこの映画そのものが本当か嘘か論は無粋なので置いておいて)
で、この映画を観て単純に思ったことは、平手友梨奈以外にもファンはいたよ、平手友梨奈以外のステージを観たい人も最初からずっといたよ…って感じかな。
あとこれは感情移入しちゃった結果の感想なんだけど、俺だったら平手をどっかのタイミングで一発殴ってるね、ムカつくもんあんな奴普通に、まあそれほどまでに彼女は凄かったってことなんだけどね。
そしてやっぱり秋元康悪いよ。と思った。
何が言いたいかっていうと事件は現場で起こってるんだって感じ、平手がインフルエンザとかのっぴきならない事情じゃなくて、表現できないからとかなんとかいう抽象的な理由で当日にライブ跳んじゃうような子なんだって分かった時点で、他の子に“も”曲を書くべきだった。表現者としてどんなに平手友梨奈が優れていたとしても、貴方たちが作らなきゃいけないのは“欅坂46”のステージだったんだから。曲は平手を中心に書くけど、ライブ当日彼女がいなくても現場でどうにかしてねは通用しないよ本当は。最初の1回は仕方がなかったかもしれないけれど、1回そういうことが起きた時点で平手友梨奈がいないプランをあらかじめ考えておくべきだった。それがしたくないなら平手を殴ってでもステージに立たせなきゃいけなかった(多分できなかっただろうけど)だってお金を払っている人がいるから。“欅坂46”のステージ対してね。
多分平手がいなくなることを恐れていたのは、本当に自信が無かったのは、メンバーじゃなくて運営だったんじゃないかと思った。平手友梨奈がいなかったら客がこないのではないか、ペイできないのではないかと1番思ってたのは運営かスポンサーだったんじゃないかと。
インタビューの中で平手がいなかった時落胆されているような気がしたみたいなニュアンスのことを異口同音に言っていたけれど、そりゃ平手がいるもんだと思ってチケット買ってるんだからいなかったら残念に思うし落胆もするよ。たしかに平手が1番ファンはいたと思うけど、いなくて残念に思うのはどのメンバーでも一緒だったよと言ってあげたい。ああここまでファンの思いは届かないものか。
そう問題は平手が出ると告知してチケットを売っていたことなんだよ。不協和音の頃には平手がいなくても有明コロシアムを埋めるくらいの人気はあったと思うんだよね、素直に平手が出ないかもしれませんと言って、チケットを売るべきだった。そして繰り返しになるけどそれに足る曲を書いておくべきだった。売っておくべきだった。表現者として平手より劣っていた部分はみんなにあったかもしれないけど、現場の人も言っていたようにみんなにだって才能があった。普通の人は欅坂46にはそもそもなれないよ。
まあただ運営の人にも擁護できる点はあって、多分後に引けなくなっちゃったんだろうなとも思う。有明コロシアム武蔵野森全国アリーナツアーときて、今更平手がいない欅坂46を認めて有明やZeppに戻ることはできなかったんだろうと。もう東京ドーム興行を打つしかなかったんだと。結果論だけどやっぱり最初に跳んだ時点で対策を取っておくべきだった。
最終的に『10月のプールに飛び込んだ』で選抜制度まで取ったにも関わらず、またもや曲の表現ができないという理由でMV撮影当日に跳んだわけだ。選抜制にするのもいいけど、平手をセンターにしたいんだったら、平手をセンターにし続けるつもりだったんなら、歌詞とか曲とか彼女に相談してから作ればよかったのにどうしてそれをしなかったのだろうか、まあ運営のお腹はこの映画で結局金にしたから満たされたのかもしれないけど、初めて自分が乗った曲が公開されなかった2期生とか本気で関わった振付師とかクリエイターの立場はどうなるのよ、事件は現場で起こってますよおじさま達。
それでさ、9thが延期になった時に平手以外のメンバー集めて解散しなきゃいけないかもしれないという状況まで来ているとかなんとか言ってたけど、それメンバーのせいなの?ファンだからメンバー守りたいって気持ちが先行しちゃってるってのもないことはないだろうけど、そこまできちゃったのって平手のせいか平手をコントロールできなかったおじさま達のせいなんじゃないの流石に。写ってないところでとか色々言い分はあるだろうけど、少なくとも映画からはそう見えたよ。
運営のことを散々言ったけど、メンバー側の問題点として、いい意味でも悪い意味でも(まあ今回は主に悪い意味で)野心が足りなかったんじゃないかなという気はする。そういう意味でいうと今泉の卒業は激痛だった。それでもセンターに立ちたいと願っていた人間が居なくなってしまったのはマジで痛かったんじゃないかな。運営が悪いとは言ったけど、崩れるべくして崩れたとも言える。
加えるならば、欅坂46というグループには優しきキャプテンじゃなくて強烈なリーダーが必要だった。最初に平手が跳んでみんながウジウジしてた時に「うるせえお前ら立て、それでもやれ仕事だ馬鹿野郎」と言える人間が必要だった。突然いなくなった平手とかにさえ強気に出れる圧倒的なリーダーが必要だった。表現を語る人間と同時に、仕事を語る人間も必要だった。
表現に飲み込まれてしまっては維持は難しい、人間関係(この場合はグループの維持)っていうのはすごく社会性が高い行為なんだよね、表現っていうのはどちらかというとそれとは対極にある行為、つまり社会性を度外視してでも伝えるという行為だからグループ全体が表現に傾倒してしまった以上維持はやっぱり難しかったんじゃないかと思う。
個人的な話で言うと、平手以外のメンバーの気持ちめちゃくちゃ分かるって感じかな。私自身も自身の芸術性のなさと表現力のなさに打ちひしがれた人間だから、それを持ちあわせる人間を目の前にした時のどうしようもなくなるあの感じはすごく共感できる。
多分平手より歌が上手いメンバーとかダンスが上手いメンバーはいたはずなんだよ(この場合の上手いは主に技術面)だけど表現力と芸術性のこの2点においてどうしても到達できないんだよな。どんなに技術を高めてアイツより高く歌えてもアイツより早く動けても届かないその苦しさ、自分と重ねて思わず涙が出た。
タカヒロさんはやっぱり天才なんだろうな、俺にはわからない話ばかりだったよ。表現の話は難しいと本当に思う。
あと松田里奈ちゃんは本当に賢い人だなと、整然と喋るし頭とは関係ないかもだけど声が聞き取りやすい、まっすぐブレないで喋れる子だね。原田も良かったすごくこの子の言葉はよく伝わった。
最後に
最後に、思う所がありすぎて結構しんどかったけど映画としての完成度のおかげで最後まで観ることができた。こんなに色々思うってことはなんだかんだ彼女たちに魅入られたファンなんだと改めて自覚した。
こんなにも楽しませてもらえるモノはそうそうないから、彼女達がまだ物語を紡いでいくというのなら、その姿果てるまで見守り続けたいと思う。
それでは、ここまでお付き合いいただきまして、ありがとうございます!
けんきょ、やさしさ、きずな
『僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46』新予告編
https://youtu.be/2d0aREJwL7A
欅坂46『誰がその鐘を鳴らすのか?』from KEYAKIZAKA46 Live Online,but with You!
『誰がその鐘を鳴らすのか?』
好きな歌手開拓メモ〜あいみょん〜
はい、どうも皆さんお久しぶりです。
朱雀飛鳥です。
神曲分析は時間がかかるので、今回は久しぶりだし好きな歌手開拓メモということで気軽に書いていきます。テーマは『あいみょん』です。
あいみょんみたいな歌手って、若い女性シンガーソングライターっていう意味で定期的に出てきますよね。昔でいうとYUIとか大塚愛みたいな感じで、だからあんまりちゃんと聴く気なかったんですけど、まあ流行ってるしと思ってせっかくだから何曲か聞いてみました。
よく彼女は天才的だなんて声を聞いていましたが、実際には彼女は秀才といった感じですかね。いろんな曲をたくさん聴いてきて、それをあいみょんナイズドしているって曲が多い印象でした。
よほどの天才でもない限り、作曲の才能っていうのは必ず枯渇します。極端にいうと、人が本当の意味で作れる曲は1〜3曲くらいだと思ってます。あとはその曲のテンポ、キー、コード、歌詞を変えているだけ、あるいは既存曲を拝借してくっつけるという感じでたくさんの曲を作っていると思ってます(それはそれで難しい技術なので否定しているわけではありません)、これには理由があって、綺麗だと思うメロディにそもそも限りがあるから、世に送り出す曲がどうしても狭まっちゃうということです。
あいみょんもその限りではありませんが、幅がかなり広いです。拝借する曲の範囲が広くて、聴くシングル曲聴くシングル曲が、大きく違っていました。これは小説で言ったら、敬体を常体に変えたり、古典的な言い回しに変えるというような極端なものなので、全部使い切ってからどんな音楽を作るのかを見てみたくなりました。
あとこうできる理由として、「個性は歌声とキラーフレーズで出るからいいでしょう?」という自信が伺えました。
でもですね、聞いたことあるようなフレーズだからと言って、全く新しさがないと言えば違います。
例えば彼女の『君はロックを聴かない』なんかは、イントロとサビ前のメロディが同じなんですけど、同じだからサビ前もイントロと同じ小節数だという心算で聴くわけですけども、それが半分しかなくて突然サビが始まります。サビに行く前に4音くらいで勝負をつけます。これが面白くて、こういう所がプロに評価されるのだなと思いました。プロは自分の発想にないことを好みますからね。
『マリーゴールド』なんかは譜割りが少し独特ですよね。逆にこの曲は歌詞が素直ですね、「あれはまだ空が青い夏のこと 懐かしいと笑えたあの日の恋」ってかなりまっすぐに伝わってきます。バランスを取っているんでしょうか。
他にも色々と聴いて発見したこともありますが、今回はここまでにしておきましょうか。
気が向いたら曲ごとに神曲分析でやるかもしれません。
それでは、ここまでお付き合いいただきまして、ありがとうございます!
あいらぶゆーのことば。
『君はロックを聴かない』
あいみょん - 君はロックを聴かない 【OFFICIAL MUSIC VIDEO】 - YouTube
『マリーゴールド』
欅坂46初心者へ送る、欅坂46講座-入門編Ⅰ-
はい、どうもみなさんこんにちは!
朱雀飛鳥です。
知識と風呂敷は広げたほうがいいということでどんどんやっていきましょう。
別に僕は欅坂46のプロでも運営でもないし、もっとすごい人たちみたいには沢山のお金を使っているわけではありませんので、大きなことを言うと怒られてしまうかもしれませんが、欅坂46が好きです。
だからみなさんにももっと好きになってもらいたい!と言う気持ちを込めてですね、僕なりの言葉で、欅坂46のいいところ伝えていけたらと思っています。
まあ尤も、ここに辿り着いている時点で、ある程度以上には好きだと思うのですが…
さて、本題に入っていきましょう。
欅坂46は21人のグループでした。
卒業してしまったメンバーや、休んでいるメンバーがいるので実際には全員が揃うことはありませんが、この21人のメンバーが全てです。
詳しい話はまたの機会にいたしましょう。
まず、欅坂46初学者に対してオススメする曲を選びました。
選考基準は聞きやすいことと、入りやすいことです。
欅坂46初学者向け楽曲3選
- 風に吹かれても
まずはこの曲、欅坂46を代表する曲というにはインパクトのない曲ではありますが、耳障りのいいイントロで不快感がなく、欅坂46というコンテンツにおける音楽的挑戦も主張している曲。YouTubeで全部聴けるという点も考慮しました。
風に吹かれてもMV
この曲は最新曲(11月6日現在)です。いろんな意味で欅坂46っぽいです。人間関係に対して問題提起し、自分の中の何かと戦っている、そんな曲です。曲開始からすぐにサビなので、わかりやすい曲でもありますし、彼女たちの魅力も伝わりやすいMVとなっています。
アンビバレントMV
最後はこの曲。この曲を語らずして欅坂46は語れません、この曲こそが原点であり“欅坂46”そのものです。この曲から、欅坂46の“何かを問題提起し、それらと戦う”という1つのスタイルが確立されていきました。
彼女たちの曲が全てそうだというわけではありませんが、“らしさ”というには十分です。
でもそれらの“らしさ”は全て、あくまでステージ上の欅坂46あるいはパブリックイメージとしての欅坂46に過ぎず、欅坂46の冠番組『欅って書けない?』などから見える彼女たちからはサイレントマジョリティー的な人間性は感じられないところも面白いです。
この曲の難点を挙げるなら、いささかインパクトが強すぎるという点です、欅坂46初学者にとって外すことはできませんが、あまりに印象を植え付けられ過ぎてしまいます。上述の通り、彼女たちの人間性までサイレントマジョリティー的ではないので、僕は、『風に吹かれても』から紹介しました。ゆっくりやっていきましょう。
サイレントマジョリティーMV
はい、ということで入門編Ⅰは以上です。いかがでしたでしょうか。
上から順番に聞いていってみてくださいね。
欅坂46に詳しい方からは、稀代の名曲『二人セゾン』が入っていないぞ!とか、挑戦という意味なら『世界には愛しかない』がないぞ!と言われてしまうかもしれませんが、いきなり欅坂46の沼にはめるようなことをしないためにあえて外しました。上の3つを聴いてから、辿り着いてみてください。その時にはもう抜けられなくなっていることでしょう。
ここまでお付き合い頂きまして、ありがとうございました。
けんきょ、やさしさ、きずな。
僕がコントロールできる人間は1人だけ。
はい、どうもみなさんこんにちは!
朱雀飛鳥です。
随分と久しぶりになってしまいましたね。
毎日更新は難しそうです…よろしければお付き合いください。
さて、みなさん好きな人はいますか?
まあどうでもいいことですけど、僕にはいません。強いていうなら推しが好きということになるのかもしれません。それを“ガチ恋”とかいうのかもしれませんが、その話についてはまた別の機会に話すことにします。
好きな人に好きになってもらいたいと思うのが世の常だと思うんですけど、そんなにうまくはいかないことも多いと思います。
そりゃそうです。相手の気持ちをコントロールする事など不可能なのですから。
ここまで断言してしまうと、それは違うと言われてしまうかもしれませんが、誤解を招かないために正確にいうと、“完全に”相手の気持ちをコントロールすることは無理だということです。
巷に転がる心理術や洗脳なんかである程度コントロールすることはできるかもしれませんが、それは副交感神経を優位にするために暖かいお風呂に入ったり、心拍数を上げるためのたくさん走ったりするのと一緒で、外部からのアプローチでどうにか変えようとしているだけで、随意的に動かしているわけではありません。
それは、恋愛に限らず友達としての関係や、師弟関係でも同じです。
他人にこうしてほしいと思っても、それができるとも限らないし、能力の範疇だったとしても必ずしもイメージ通りには動いてくれません。
自分のことを好きになってほしいと思っても、誰かのことを嫌いであってほしいと思っても、それも無理です。それに口では好きだ嫌いだと言ってても、それが実際にそうであることは誰にも証明できません。
誰しも心までコントロールできる人間は1人だけ、自分です。
他人をどうこうではなく、自分をどうにかするしかないのです。
だから多くは期待せず、他人と自分を切り離してみると、気が楽かもしれません。
…という、自分への慰めをここにおいておきます。
他人にイラついたら、少しだけこのブログを振り返ってみてください。
それでは、ここまでお付き合いいただきまして、ありがとうございます。
またお会いしましょう。
よそはよそうちはうち。
アイドル嫌いだった男が、握手会に行くまで 番外編
はい、どうもみなさんこんにちは!
朱雀飛鳥です。
今回は『アイドル嫌いだった男が、握手会に行くまで』シリーズの番外編ということで少し語っていきたいと思います。
まあアイドルのあれこれはこのシリーズでいこうかなと思ってですね、番外編という形を取らせていただきました。
今回は、少々批判的な記事となっていますので、あらかじめご了承ください。
できるだけ傷つかないような言葉を選ぶようにします。
さて、それでは本題に入って行きたいと思います。
まずアイドルっていつまでアイドルかっていう話なんですけど、僕は個人的にアイドルは引退したら、アイドルではなくなると思います。
当たり前のことを言っているように感じるでしょうが、これって結構重要だと思うんです。
だって“永遠のアイドル”なんて言い方あるじゃないですか、だからアイドルっていつまでかって定義が曖昧なんですよ。
僕個人の意見としては、どんなに歳をとっても、自らアイドルではないと宣言するまではアイドルだと思っています。
反対に今日からアイドルじゃありませんと宣言すれば、その日からだってアイドルじゃなくなると思います。
でも、アイドルという職業から脱却した人たちにも、アイドルだった責任があると思うんです。
どういうことかと言えば、アイドルは、アイドルの秘密や裏話をアイドルじゃなくなっても話すべきではないと思うんです。
最近はいろんなタイプのアイドルがいて、なんでもかんでも暴露しちゃうような人もいることにはいますが、まあそれは例外です。それで売れても息は長くないでしょうし、自然と淘汰されると期待しておきます。
アイドルに恋愛を禁止したり、浮ついた話が出ないようにするのは、たしかに問題もあると思うんです。
でも、そういう“てい”で活動して、ファンもそういう“てい”でお金を払っているので、最初からわかっているんだったらアイドルにはならないべきで、なってしまったならその間は恋愛はしないべきです。もししていても、全力で隠すべきです。
そしてそれは、アイドルじゃなくなっても隠し通しておくべきです。
なぜかというと、アイドルがそういう“てい”で活動しているからです。
これは引退した人だけでの問題ではなく、現役のアイドル達の問題でもあるのです。
引退した人が、私は結構恋愛していたし、遊んでいたなんて発言した日には、現役の人もそうなのだろうとなってしまいます。
もっとも、そもそもアイドルが本当に恋愛をしてないなんて思っているわけではないでしょうが、本人達がそれを認めてしまっては、“てい”が崩れてしまうのです。
今回、後藤真希さんが、色々と暴露しましたが、あれは少し如何なものかと思います。
上述の通り、引退したからといって言っていい案件だとも思わないし、現在にも恋愛禁止のルールがモー娘。にあるかどうかは知りませんが、流石にまさに後輩が頑張っているグループの出身者が暴露してしまうのは少しいただけないと思いますね。
自分はもう関係ないからといって、後輩の信頼を脅かすような発言はしたくないものですね。
はい、ということで今回はここまでにしましょう。
ここまでお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
ぼくはかわいいこがすき。
こちらもよろしくお願いします。
わざわざ現実は見に行かないで。
はい、どうもみなさんこんにちは!
朱雀飛鳥です。
みなさん現実をみてください!
いや、そんなことする必要はありません。
現実はただそこに起こっていることであって、わざわざ意識しなくてもやってきます。
仕事、試験、受験、就活、嫌でもやってきますよね?
だからわざわざ“見る”必要なんてないのです。
現実をみなさい!なんて言ったり、言わなくていい現実っぽいことを語る人と取り合うのは無駄です。
そういう人が言ってることって大抵想像上の“現実”でしかなくて、それが本当かもわからないのに、“確かに起こりそうだから”という理由で「そうかもしれない!」って勘違いしてしまうのです。
特にコンテンツを楽しむことにおいては、より現実を見る必要なんてありません。
まあ考えるのは自由ですけど、考えたってわからないのだから考えるだけ無駄だし、考えようとさせる人の話を聞くのも無駄です。
非現実を得たくて、明日を見たくなくて、僕は今日も何か楽しいコンテンツを見つけてそれで遊びます。
難しいことは考えていません笑
現実はやってくるものを受け入れて、対処するだけです。
まあそれが難しいんですけど笑
怠ったら生きていけませんしね。
でも、楽しいことにまで頭使ってたら疲れてしまいますよ?
コーヒーでも飲んで、一休みしましょう?
はくなまたた。
久々の、ペーちゃん
あなたの声には魅力がる。
はい、どうもみなさんこんにちは!
朱雀飛鳥です。
今回は、僕が魅力を感じる“声”について語っていきつつ、みんなに歌をもっと楽しんで欲しいと伝えたいと思います。
僕は『超個人的!神曲分析〜この曲が好きだ〜』にて、“好きな曲”になる条件についていくつか語っていますが、今回は“好きな歌”になる条件について語っていきたいと思います。もっとも語るほどのことでもありませんが。
歌で誰かに伝えようとする時1番大事な要素は、正確無比なピッチでも、圧倒的声量でも、技術でもありません。
まあある方がいいに越したことはありませんが、それだけを突き詰めても、いい歌にはなるかもしれませんが、誰かの好きな歌になりづらいと思うのです。
1番重要なのはタイトルからわかる通り、“声”だと思ってます。
よく1/f揺らぎがどうとかこうとか言われてますよね?それも結局声が持つ能力です。モノマネでも近いものになることもあるそうですから、ある程度は近づけるかもしれませんが、基本的には声に棲んでいる魔物の能力なのです。
もちろん、僕が個人的に声が1番重要だと思っているだけであって、「いやいや技術があってこそでしょ」だとか、「ピッチがあってなきゃ歌ですらない!」なんて言う方もいるでしょう。
たしかにそれは間違っていなくて、僕だって音痴の歌や、リズムが無茶苦茶な歌、声が小さくて聞こえない歌を聴きたいわけではありません。
でもその評価は、“歌の魅力”を評価するという側面においていささか不十分だと思うのです。
この声があるから、少しピッチは外れているけれど、なんだか心地よくなってしまう。
リズム感は微妙だけど、この声で聴くとどこか没入感があってハマってしまう。
技術以上に、そういった要素があるのが歌だと思っています。
だからどんなに下手くそな人も、誰かがどこかで魅力的に感じるかもしれません。
そしてその人の歌が“好きな歌”になるかもしれません。
歌が苦手だと思っている人も、思い切って歌ってみてはいかがでしょうか?
少し支離滅裂になってしまいましたが、ふと思いついたので書かせていただきました。
下に『超個人的!神曲分析〜この曲が好きだ〜』のリンクを貼っておきます。そちらも合わせてご覧いただけると幸いです。
れっつしんぐあそんぐ。