超個人的!神曲分析〜この曲が好きだ〜 Vol.1 『二人セゾンに恋をして』
はい、どうもみなさんこんにちは!
朱雀飛鳥です。
風呂敷と知識は広げたほうがいいということで、このタイトルでは、僕の個人的に好きな楽曲を語っていきたいと思います。
音楽はそこそこ長くやってきたので、少しだけ頭でっかちに見ているところもありますが、基本的には難しいことは語らずに、抽象的に、パッション重視でやっていきたいと思っています。
あとドラムスだったりとか、リズムセクションから見た楽曲の感想を伝えられたらいいと思っています。
それでは本日の楽曲は、こちら!
『二人セゾン』
作詞:秋元康
作曲:SoichiroK/Nozomu.S
最初の曲を何にするか結構迷いました。自分の1番好きな曲にするべきか、欅坂46の代表曲『サイレントマジョリティー』にすべきか、あるいは皆さんに聴いてほしい曲にするべきか…
色々考えた結果、個人的に僕が欅坂46を語る上で、“サイマジョ”より欠かせないと思っているし、好きになったきっかけになった曲である『二人セゾン』を選びました。
曲や音楽において、僕が1番重要だと思っていることは、“感情”です。
好きな曲に“感情”が伴っていないものは無いと思っていますし、“感情”が伴っていなければそれは好きな曲ではないとさえ思っています。
それほど曲には、“感情”が重要なのです。
だからそれがどんなに劣悪な曲であろうと、好きな曲であることを誰も否定することはできません。
この『二人セゾン』は僕にとって欅坂46を好きになった時の感情が蘇る、特別な曲なのです。
さて、前置きはこのくらいにして、本題に入っていきましょう。
『二人セゾン』を何も考えずに聴くなら、この曲は割と普通の曲です。もっと正確に言うと、普通にいい曲と思われやすい曲です。
いっぱいセブンスの入ったコードで。聴けばみんなが“エモい”なんて言うでしょう。
それにこの曲は一言で言えばストリングスの曲ですので、心に響きやすいです。
それがこの曲の特徴の1つでもあるんですが、この曲はストリングス過剰です。最初から最後まで、ストリングスなりっぱなしで、転調がないので、展開とか厚みを持たせるときに、ストリングスがどんどん増えていきます。
それだけではなく、この曲は割と鳴っている楽器が多いです。
ストリングスの他に、電子音っぽい音が散りばめられ、ドラムが四つ打ちでなり続け、アコギも鳴っています。加えてコーラスも厚いです。
でも1つ1つが丸い音なので、うまく調和して成り立っています。
特にドラムが丸い音で鳴っていて、他の音を邪魔していません、でもしっかりと厚みの追加に加担しています。
この曲の1番好きなポイントはラスサビあたりから追加されるエレキギターです。
曲の2番くらいまではいなかったエレキが、最後に突如として現れます。それが熱くて、僕の心をくすぐりました。
ドラムもハットの刻みを加速させ、曲は後半にいくにつれどんどん盛り上がっていきます。
そして最後にギターの音色は最高潮に達し、「僕もセゾン〜♪」という歌詞と共に消えて、ピアノが少し鳴って終わります。
あえて言いましょう、これは…
エモい!!!
取り乱しました。是非踏まえて聞いてみてくださいね。
次に演奏者としてはですね、結構ドラムス泣かせな曲でもあります。
この曲、上述の通りドラムがずぅっと四つ打ちなんですよね、これ結構キツイんですよ、それにハットの刻みが後半増えるんですけど、意外とテンポがあるので、骨が折れます…笑
しかもストリングスに囲まれてるので、テンポが引っ張られてリズムキープも難しい、でもテンポが落ちるとこの曲の魅力は一気に下がってしまうので、100000歩譲って加速は良くても、遅くなるのは絶対に許されません。加えて曲の構成上ドラムは音数も増やしにくいので、グルーヴも作りづらい、演奏するのは難しい曲だと思います。
この曲の演奏に挑戦する皆様、頑張ってください!笑
最後にですね、歌詞について言及していきたいと思います。
秋元康は天才です。
…が、弱点もあります。
秋元康という作詞家はですね、言葉の整合性を重視しています。
作詞にはリズムを重視するパターンと、意味を重視するパターンがありますが(もちろん個人的見解)、秋元康は間違いなく後者です。
だからリズムのいい歌詞を書くのは少し苦手なようです。
そのかわり整合性を保った歌詞を書くのはめっぽう得意です。
一見意味がわからない言葉でも、歌詞に説明が付いています。
今回の場合もそうです。
『二人セゾン』は一見意味がわかりません、という切り口で語ろうと思ったのですが、この曲に関しては、“二人の季節”とか、“二人シーズン”とすればわかりやすかったものを、わざと“セゾン”として隠しています。これもなんとなくエモい感情にするための作戦かもしれません。
いずれにしても、歌詞で整合性を取っています。
二人の季節は、過ぎ去っていってしまいます。それは今ではなく、多分少しだけ昔のこと、後悔はしていないか?とおそらく自分に問いかけています。
ここだけでこの物語はハッピーエンドってわけにはいかなそうというのが分かりますね、この時点で、心を惹きつけられてしまいます。
これが序詞的な役割で、ここから思い出語りが始まっていきます。
主人公は、雑草の存在も意味も感じずにイヤホンをしてふさいでいます。それを君が開放します。
太陽が戻って来る前に、それほど短い時間に、大切な人は突如として現れます。その人が与える愛か、あるいはその短い時間が与える愛を、イヤホンをしてふさいでいた僕のように拒否しないで、と言っています(おそらく)
そこからサビに入って、また詩的に、君が僕を変えたのだと主張します。
そして2番ですが、言いたいことは1番と同じです。風の香りなんて気にせず、周りにバリアを張っていた僕を君が開放します。
でもきっとそんな瞬間は、季節は、長続きはしなかったのです。季節のような君は、僕の前から季節のように過ぎ去ってしまいます。
でも全てを失ったわけではありません。僕は変わることができました。それは本当に少しだけ、もしかしたら変わったというには大袈裟かもしれません。それでも君と、季節と出会う前の僕とそれ以降の僕は確かに違うのです。
そして僕は最後に気がつきます。あれはときめきだったのだと。僕はそれをカレンダーに仕舞って呟きます。
僕もセゾン…と。
これは僕も君の季節だったらいいという願望なのか、それとも事実か、それはわかりません。でも、僕は前に進んだのです。
…と、これが僕の解釈です。幅は多少あるでしょうが、誰が聴いてもこの曲の歌詞を見たら、僕のような解釈をするでしょう。
秋元康は、整合性を取った歌詞で、人に情景を浮かばせるのが得意なのです。
『二人セゾン』のような曲にはぴったりとハマって、最高の仕上がりになっていると思います。
泣けます。この曲で僕は欅坂46に染まっていったのです。
まあそのお話は、別の機会にいたしましょう。
はい、ということで今回は以上です。
いかがでしたでしょうか?思ったより長くなってしまいました…。暇な時に流し読みでもしてみてください。
ということで、ここまでお付き合いいただきまして、ありがとうございます。
いきるとは かわること。
次回